長崎県におけるワンヘルスアプローチによる重症熱性血小板減少症候群研究
長崎県におけるワンヘルスアプローチによる重症熱性血小板減少症候群研究
(IASR Vol. 46 p170-172: 2025年8月号)
日本では日本紅斑熱, 重症熱性血小板減少症候群(severe fever with thrombocytopenia syndrome: SFTS), ライム病, ダニ媒介脳炎などのマダニ媒介感染症が報告されているが, 特に日本紅斑熱とSFTSの2つが西日本を中心に多数報告されている。日本紅斑熱はRickettsia japonicaによる感染症で, 発熱, 発疹, 刺し口が主症状である。抗菌薬が著効するため早期診断・早期治療が重要である。SFTSは2011年に中国で初めて報告された新興感染症である1)。2013年に本邦でも報告され2), 以降, 毎年100例ほどの症例が確認されている3)。その後の保存検体の解析により, 2005年からSFTSウイルス(SFTSV)が長崎県に存在していたことがわかっている4)。SFTSは, 感冒様症状, 消化器症状, 肝胆道系障害や出血熱を生じ, 致命率は27%に及ぶ5)。近年, 東南アジアでもSFTSVが確認され流行地域の拡大が危惧されている6)。一方でワクチンはなく, 国際的に確立された治療薬もない。さらに, 本邦のSFTS患者届出数が毎年増加していること, 流行地域が西日本から関東地方まで拡大していること7), 本邦の野生動物に広く蔓延していることが示唆されること8), 感染した愛玩動物(イヌ・ネコ)から飼い主や獣医療関係者への感染例があること9), ヒトからヒトへの感染報告もあること10)から, その感染症対策は流行地域における重要な公衆衛生課題になっている。
当研究室では, 人獣共通感染症防止の観点から, SFTS診療を支えるためにSFTSVの実験室検査を行っている。本稿では, これまでの活動を通じて得られた興味深い知見や議論を紹介する。
1つは, 患者と刺咬したマダニからSFTSVが検出された症例である。患者由来とマダニ由来のSFTSV配列は相同性が非常に高く, マダニからヒトへのウイルス感染が示唆された。このマダニは16Sリボソーム遺伝子配列から, Haemaphysalis aborensis(H. aborensis)と同定された。このH. aborensisは南アジアから東南アジアに広く分布するが, これまでSFTSVの媒介者とは考えられていなかった。さらに, H. aborensisは海外からの輸入マダニであり, 本邦で認識されたのは初めてであった。これにより, 渡り鳥によりSFTSV感染マダニが運ばれ, 患者を刺咬したと推測された11)。本例から, マダニは渡り鳥とともに長距離移動し得ること, そして新しい病原体を伝播する可能性が示唆された。したがって, 定期的なマダニ調査と保有病原体の検査は, 新規病原体の侵入を早期に検出するためにも, 感染症モニタリングとして極めて有用であると考えられる。
長崎県が全国で最も多くのネコの症例数を報告しているが12), 長崎県の疫学データ13)では, 感染したネコの明確な地理的クラスターは確認されておらず, 家庭内や近隣住民における症例も確認されていない。今回, 長崎県の離島で同一地域内のネコ4頭と4人の人間が短期間に連続して感染した事例があり, 地域内での感染動態への懸念が高まった。これを受けて, 当研究室は現地の医療機関と長崎県環境保健研究センターと協力し, このアウトブレイクを詳細に調査した。この結果, 患者はネコの飼い主ではなく, 4匹のネコと4人の間には直接的な接触は確認されなかった。また次世代シーケンス法により8例から全長のウイルスゲノムを取得し, 系統樹解析を行ったところ, これらの株は過去に長崎県で分離された株と同様に, 遺伝子型B2型に属することがわかった。さらに, 感染症のアウトブレイクにおける分子疫学や地理的系統関係を解明する手法として, 新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)などのウイルス研究で広く活用されているハプロタイプネットワーク解析を今回のウイルスゲノムに適用した14)。長崎県で過去に分離された株を含めた8株のゲノムデータを用いて解析した結果, いくつかのハプロタイプの存在が確認されたが, すべての分節においてハプロタイプの相関パターンが異なることから, 複数のウイルス侵入経路や複雑な感染拡大の動態が存在する可能性が示唆された。この事例から, SFTSVにおいてもクラスターの発生や感染リスクの実態把握が重要であるとともに, 迅速かつ連携的な「ワンヘルス」アプローチによる対策の必要性を改めて認識した。
そこで, 病原体, 媒介動物(マダニ), 人獣臨床, 公共保健, 疫学・統計学, 数理モデルなどの専門家と連携し, 多角的なデータ解析を推進するとともに, 感染の背景に潜む複雑な要因や, 隠れた相関関係を明らかにするための多分野融合チームを組織した(図)。本研究グループの目的は, 長崎県におけるマダニ媒介感染症のリスク評価と予防対策の強化にあり, 具体的にはマダニハザードマップや媒介病原体ハザードマップの作成を中心に, これらの情報を基盤とした地域の感染動態の把握や早期警告システムの構築を進める。これらのマップを地域住民や行政関係者が活用できる環境を整えることで, 感染リスクの把握と迅速な対応の促進, 予防の効果的な実現を目指している。さらに, 愛玩動物やヒトの感染状況と重症化リスクとの関連性を解析し, より実効性の高い予防策や診療ガイドラインの策定に寄与したいと考えている。本研究は, 病原体・宿主・環境の視点を包括的に捉える「ワンヘルス」アプローチにのっとり, 地域に根ざした持続可能なダニ媒介感染症対策モデルを構築することを目的としている。多部門の連携により, 病原体の検出と拡散メカニズムの解明を進め, 効果的な防除策や地域レベルでの早期対応体制を整備することで, 現在ワクチンや特異的治療法のない感染症に対しても, 適切な予防と対策を実現していきたいと考えている。
最後に, 本研究にご理解とご協力をいただいている患者さんや動物の飼い主の皆さま, ご家族, 長崎県内外の医療・動物医療機関・ペットクリニックの皆さまに, 心より感謝申し上げます。
参考文献
- Yu XJ, et al., N Engl J Med 364: 1523-1532, 2011
- Takahashi T, et al., J Infect Dis 209: 816-827, 2014
- 国立健康危機管理研究機構感染症情報提供サイト, 感染症発生動向調査で届出られたSFTS症例の概要(2024年10月31日更新)
- Kurihara S, et al., J Infect Chemother 22: 461-465, 2016
- 小林祐介ら, IASR 40: 113-114, 2019
- 下島昌幸, IASR 40: 115, 2019
- 平良雅克ら, IASR 42: 150-152, 2021
- 前田 健ら, IASR 40: 116-117, 2019
- 西條政幸ら, IASR 40: 117-118, 2019
- 清時 秀ら, IASR 45: 62-64, 2024
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- 石嶋慧多ら, IASR 44: 31-32, 2023
- Ando T, et al., Viruses 13: 1142, 2021
- Sekizuka T, et al., PNAS 117: 20198-20201, 2020
長崎大学熱帯医学研究所 ウイルス学分野
高松由基 松井昂介 大城亮作 尾迫広務 村田周太郎 Xu Qiang
Dalouny Xavong Nhung Hong Pham Vu 胡 上帆 Catarina Harumi Oda Ibrahim
蔵重智美 坪田芽久美 城台和美 Mya Myat Ngwe Tun 井上真吾 森田公一
長崎大学大学院 熱帯医学・グローバルヘルス研究科
肥田野 新 Aurelia Vessiere Laura Skrip John Edmunds
長崎県環境保健研究センター
井原 基 高木由美香 大串ひかる 吉川 亮
長崎県中央家畜保健衛生所
中島 大 松森洋一
長崎大学 総合生産科学域(環境科学系)
服部 充
長崎大学病院
島田 翔 増田真吾 鈴木 守 赤羽目翔悟 杉本尊史 浜田航一郎
小笹宗一郎 服部尚子 室田浩之 山梨啓友 前田隆浩 泉川公一
有吉紅也
五島中央病院
瀬戸口大地 勝岡真一 村上達樹
上五島病院
山川大介 山口将太 浦田亮太
千葉大学大学院医学研究院
川崎純菜
国立健康危機管理研究機構 国立感染症研究所
感染病理部
宮本 翔 坂井祐介 鈴木忠樹
感染症疫学センター
宮原麗子
獣医科学部
前田 健