エロモナス・ハイドロフィラ/ソブリア感染症
エロモナス(Aeromonas)の研究の歴史は古く、1800年代の末期にはカエルの“red leg”の病原菌として認識されていた。本菌のヒト感染症へのかかわりは1950年代中頃から報告されたが、特に1970年代からは本菌による下痢症に対 する関心が高まり、わが国では1982(昭和57)年にエロモナス属菌のうちA. hydrophilaおよびA. sobria(エロモナス・ハイドロフィラ/ソブリア)が新たに食中毒菌に指定された。しかしその後、本菌の分類は複雑化していることから、はじめに分類の概略を示す。
厚生省がエロモナス・ハイドロフィラ/ソブリアを食中毒菌に指定した当時、エロモナスの分類はPopoffの分類が世界的に受け入れられていた。 Popoff は実用性を重視した結果、分類学的には元来は種に分けるべき菌を、生化学的性状では鑑別できないという理由であえて同一種とした。しかしその後の研究で、エロモナスには現在16のハイブリダイゼイション群(HG)が認められ、それぞれに該当する14遺伝種(genospecies)および13表現種(phenospecies)が命名されている(表)。
本表において、エロモナス・ハイドロフィラ/ソブリアにはHG1 、HG2 、HG3 、HG7 、HG8 、HG10があてはまる。
表.Aeromonas の分類(新訂 食水系感染症と細菌性食中毒、中央法規出版)
HG (注意:) |
遺伝種 | 表現種 | ヒトからの分離 |
---|---|---|---|
1 | A. hydrophila | A. hydrophila | ++++ |
2 | A. bestiarum | A. hydrophila | + |
3 | 運動性、中温性、 未命名菌種 A. salmonisidaa |
A. hydrophila A. salmonisida |
+ - |
4 | A. caviae | A. caviaec | ++++ |
5A | 未命名菌種 | A. caviae | - |
5B | A. media | A. media | - |
6 | A. eucrenophila | A. eucrenophila | - |
7 | A. sobria | A. sobria | - |
8 | A. veronii | A. veronii生物型 sobria d | ++++ |
9 | A. jandaei | A. jandaei | ++ |
10 | A. veronii | A. veronii生物型 veronii d | ++ |
11 | A. encheleia | A. encheleia | - |
12 | A. schubertii | A. schubertii | ++ |
13 | 未命名菌種 | Aeromonas"Group501" | + |
14 | A. trota | A. trota | ++ |
15 | A. allosaccharophila | A. allosaccharophila | - |
16 | A. popoffii | A. popoffii | - |
注意:DNA group または hybridization group(既発表のものを総括)
a サカナ由来の好冷菌を含む。サカナ由来の好冷菌はヒト由来のHGとは生化学的に異なる。
c A. punctata の名を主張するものである。
d HG8および HG10は遺伝学的には同じであるが、そのtype strain が生物学的に異なるので、生物型として分けられている。
疫学
エロモナス・ハイドロフィラ/ソブリアを はじめとするエロモナスは淡水域の常在菌で、河川、湖沼、その周辺の土壌および魚介類等に広く分布している。また、河川水のみならず沿岸海水からもよく分離される。本菌感染症の発生は、それら自然環境の本菌による汚染が直接または間接に影響し、菌の増殖が活発な夏期に多い。本菌の分離率は、地域、年、季節、検査方法などによって異なるが、全体的に熱帯および亜熱帯地域の開発途上国で高いので、これらの地域への渡航者下痢症からも本菌が分離される。
わが国では明らかなエロモナス集団下痢症の事例はないが、疫学的証拠から本菌は下痢症の原因菌として広く承認されている。症例のほとんどは散発例で、小児や50歳以上の成人に多く発生するのが特徴的である。また、腸炎ビブリオなどの他の病原菌が同時に分離される事例が多い。
一方、本菌は腸管外感染症の原因ともなり、下痢症についで多いのは創傷感染である。腸管外感染症の部位はほぼ全身の組織に及ぶが、特に皮膚や筋肉などの 軟組織感染が多く報告されている。ごく最近、新しい症例として溶血性尿毒症症候群、熱傷に起因する敗血症、咽頭蓋炎などの様々な呼吸器系感染症の報告がみられた。
病原体
エロモナス・ハイドロフィラ/ソブリアはグラム陰性の通性嫌気性桿菌で、通常菌体の一端に単毛の鞭毛を持つが、幼若培養菌では周毛が観察されることがしばしばある。エロモナスの中には非運動性菌および30度以上では発育できない低温菌もあるが、エロモナス・ハイドロフィラ/ソブリアはその発育至適温度が30~35度の中温性菌である。ヒト感染症には一般に中温性エロモナスの菌種が関与する。臨床材料から分離されるエロモナスの85%以上はエロモナス・ハイドロフィラ/ソブリア(A. hydrophila,HG1 およびA. veronii生物型 sobria,HG8)またはエロモナス・キャビエ(A. caviae)であることが示されており、Popoffの分類のtype strain のひとつであるA. sobria(HG7)がヒトから分離されることは極めて稀である。
エロモナス感染症の発病機序およびその病原因子についての研究は、ほとんどが下痢症およびそれらの分離菌について行なわれてきた。エロモナス・ハイドロフィラ/ソブリア(A. hydrophilaの一群の菌種とA. veronii生物型sobria)の病原因子は種々検討されているが、なかでも外毒素は良く研究されており、ヘモリシンとコレラ毒素に関連する物質とに大別される。しかし、下痢発症に重要である物質は確定されていない。
臨床症状
エロモナスによる腸炎は、平均12時間の 潜伏期の後、多くは軽症の水様性下痢や腹痛を主訴として発症し、通常、発熱はあっても軽度で、1~3日で回復する。しかし、下痢が長期間(数週間に及ぶこともある)持続する患者では潰瘍性大腸炎に類似する状態を起こすこともある。また、時には激しいコレラ様の水様性下痢を起こすことがあり、稀に血便、腹痛および発熱を伴う症例もみられる。
病原診断
軽度の急性胃腸炎であることが多く、確定診断には糞便からの菌の分離が必要である。糞便からのエロモナス・ハイドロフィラ/ソブリアの分離培養検査には、赤痢菌やサルモネラの選択分離培地であるSS、DHL、マッコンキー寒天培地などを適用できるが、SS寒天培地では発育を抑制される菌株もある。糞便以外の臨床材料では一般に血液寒天培地が用いられ、エロモナス・ハイドロフィラ/ソブリアは本培地上でβ溶血性の集落を形成する。血液寒天培地にアンピシリンを添加して選択性を強化した培地は本菌の分離に有用である。同定は生化学的性状によって行われるが、エロモナス・ハイドロフィラ/ソブリアの性状に一致しない臨床由来の中温性エロモナスも無視できないので、注意が必要である。なお、本菌の血清型別は国立感染症研究所において実施できる。
治療・予防
軽症例ではあえて特別な治療をしなくても自然に治癒する。しかし、赤痢様あるいはコレラ様の症状を呈した場合には、経口または静脈内輸液等の対症療法と共に抗菌薬の投与が必要である。成人ではニューキノロン系、小児にはノルフロキサシン、5歳未満の小児にはフォスホマイシンを選択し、常用量3~5日間の内服による治療が一般的である。
エロモナス・ハイドロフィラ/ソブリア感染症の予防は、一般の細菌性食中毒の予防法と同様である。なかでも特に注意すべきことは、給水施設の衛生管理が不十分な水を飲用しない。本菌の汚染が考えられる水あるいは魚介類からの調理食品の二次汚染を防止する。本菌は低温(4~7度)でも増殖するので冷蔵保存を過信しない。また、開発途上国への旅行者および滞在者は、生水を摂取しないように十分注意することである。
食品衛生法での取り扱い
食中毒が疑われる場合は、24時間以内に最寄りの保健所に届け出る。
(神奈川県衛生研究所細菌病理部:山井志朗)