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節足動物媒介ウイルス感染症における先回り研究の実例とその重要性

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節足動物媒介ウイルス感染症における先回り研究の実例とその重要性

(IASR Vol. 46 p247-248: 2025年12月号)

1. はじめに

蚊やマダニに代表される吸血性節足動物は多様な病原ウイルスを媒介し, 世界的に公衆衛生上の重要な課題となっている。近年, ヒトでの感染や流行が発生する前の段階で, これら節足動物が保有するウイルスを調査し, その潜在的リスクを評価する“プロアクティブ・サーベイランス(Proactive Surveillance)”の重要性が高まっている。未知の病原体を早期に特定し, その遺伝的特性, 病原性, 媒介経路を解明するアプローチは, 将来的な感染症の発生や拡大を予測し, 予防・制御戦略を立案するための科学的基盤を提供し, 公衆衛生上の脅威を低減するために有効な手段と考えられる。本稿では, 日本脳炎ウイルス遺伝子型IV型とオズウイルスの研究事例を通して, こうした先回り的な研究アプローチがもたらした科学的知見と公衆衛生上の意義について概説する。

2. 事例1:蚊を対象としたサーベイランス―日本脳炎ウイルス遺伝子型IV型―

日本脳炎ウイルス(JEV)は5つの遺伝子型(GI-GV)に分類される。このうちGIVは長らくヒトでの症例報告が極めて少なく, その疫学的特徴, とりわけ主要な媒介蚊については不明な点が多かった。しかし, 2022年にオーストラリアでGIVによるアウトブレイクが突如発生したことで, これまで非流行地域と考えられていた場所においても, 本ウイルスの侵入・定着によるアウトブレイクのリスクが認識されるようになった。

この状況を受けて, GIVを媒介し得る蚊種を特定するための実験室内感染実験が行われた。その結果, 従来JEVの主要ベクターとして認識されていなかった蚊種や非流行地域に生息する蚊種が, GIVを効率的に媒介し得ることが明らかになった1)。具体的には, 日本脳炎流行地における主要媒介蚊のコガタアカイエカ(Culex tritaeniorhynchus)はもちろんのこと, デングウイルスの主要媒介蚊であるヒトスジシマカ(Aedes albopictus)もGIVに高い感受性を示したほか, ネッタイイエカ(Culex quinquefasciatus)や非流行地の都市部での優占種であるチカイエカ(Culex pipiens form molestus)も媒介能を持つことが明らかとなった。この事実は, JEVの感染環が従来のアジアや西太平洋地域に限定されず, 適切な媒介蚊が存在すれば, 現在流行が確認されていない地域でも感染流行が発生し得る潜在的リスクを示唆している。本研究は, ウイルスの遺伝子型ごとに媒介能を正確に評価することが感染リスク推定に不可欠であり, 未発生地域における媒介可能蚊種の監視体制の重要性を示す科学的根拠となる。

3. 事例2:マダニを対象としたサーベイランス―オズウイルス―

オズウイルス(OZV)は, 本邦で発見されたオルソミクソウイルス科トゴトウイルス属の新興ウイルスである。本ウイルスに関する研究は, ヒトの致死症例が報告される以前から先回り的に実施され, その存在と潜在的リスクを事前に明らかにした点で特筆される。

研究の経緯としては, まず2018年に国内で採集されたタカサゴキララマダニ(Amblyomma testudinarium)からOZVが初めて分離・同定された2)。この時点ではヒトに対する病原性は不明であった。その後, 国内の狩猟者や野生動物(ニホンザル, ニホンジカ, イノシシなど)の血清が調査され, これらからOZVに対する中和抗体が検出された3)。これにより, 本ウイルスがヒトや野生動物に感染している実態が初めて明らかとなった。

これらの知見が段階的に蓄積されていたため, 2023年に世界で初めてヒトの致死症例が報告された際, 原因ウイルスの迅速な特定と生物学的特徴の把握が可能となった。この症例は, 節足動物媒介ウイルスの感染が関与する症状としては稀なウイルス性心筋炎により死亡したと診断された。今のところ確定的な感染経路は未解明だが, タカサゴキララマダニが有力な媒介者候補と考えられている。本事例は, 先回り的な研究が実際の症例発生時に迅速な公衆衛生対応を可能にすることを示している。

4. 結論と今後の展望

本稿で概説した2つの事例は, ヒトでの流行が顕在化する前の先回り的な基礎研究の蓄積が, 実際の感染症発生時における迅速な原因究明とリスク評価を可能にすることを示しており, ひいては効果的な対策立案といった公衆衛生上の危機管理能力の向上にも繋がる。とりわけ近年の気候変動やグローバル化を背景に, 節足動物媒介ウイルス感染症のリスクは増大しており, 将来の脅威に効果的に対峙するためには, 基礎研究から公衆衛生対策へと繋がる, 学際的かつ継続的な研究体制の構築と強化が不可欠である。

参考文献

  1. Faizah AN, et al., Emerg Microbes Infect 14: 2438661, 2025
  2. Ejiri H, et al., Virus Res 249: 57-65, 2018
  3. Tran NTB, et al., Emerg Infect Dis 28: 436-439, 2022

国立健康危機管理研究機構
国立感染症研究所
昆虫医科学部
 伊澤晴彦 Astri Nur Faizah 小林大介
 松村 凌 佐々木年則 葛西真治

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