百日咳菌の基礎と近年の分子疫学的動向

百日咳菌の基礎と近年の分子疫学的動向
(IASR Vol. 47 p8-9: 2026年1月号)
ワクチン導入により百日咳の発生は世界各国で大きく減少したものの, 近年その再興が報告されている。その背景には, 病原体である百日咳菌が, ワクチンや抗菌薬といった人為的な選択圧のもとで進化し, 集団構造を遺伝的に変化させてきたことがある。ここでは, 細菌学的特徴・病原性・分子疫学的変遷の観点から, 百日咳菌の特性と近年認められる変化について概説する。
細菌学的特徴
百日咳菌はグラム陰性の短桿菌で, 偏性好気性細菌に分類される。自然宿主はヒトに限られており, 乾燥や温度変化などの環境ストレスに弱いため, 体外では長時間生存できない。こうした性質は, 百日咳菌がヒトの気道という限定された環境に特化して適応したことを示唆する1)。また, 実験や臨床検査において百日咳菌の培養は容易ではなく, 本菌は多くの栄養素を必要とするため通常の細菌培地では十分な発育を示さない。培養には, ウマ脱繊維血液を用いたBordet-Gengou血液寒天培地や, 人工合成培地であるCFDN寒天培地など, 特別に調製された培地が必要となる。さらに, 百日咳菌は増殖速度が遅く, 鼻咽頭スワブなどの臨床検体から可視的なコロニーを形成するまで1週間前後を要する。このように, 環境への脆弱性と発育の遅さが重なり, 菌株解析の前提となる臨床検体からの分離・培養は, 現在でも容易ではない。
病原性
百日咳菌の病原性は, 気道上皮への付着因子と複数の毒素が作用することで成立する2)。感染はまず, 線毛(Fim2, Fim3), 繊維状赤血球凝集素(FHA), パータクチン(Prn)などの付着因子が気道上皮に結合し, 菌が定着することから始まる。その後, 百日咳菌は百日咳毒素(PT)をはじめとする多様な毒素を産生し, 宿主の免疫応答を攪乱する。PTはリンパ球増多症の誘導や炎症制御の破綻など, 多彩な生物学的作用を示すほか, アデニル酸シクラーゼ, 気管上皮細胞毒素, 皮膚壊死毒素なども免疫回避や上皮障害を通じて感染の進展に寄与する。こうした毒素作用が重層的に加わることで, 気管上皮の損傷や神経反射の過敏化が生じ, 百日咳特有の発作性咳嗽が引き起こされる。また, 感染後期には菌数が減少しても毒素の影響や組織傷害が残存するため, 咳嗽が遷延しやすいことが知られている。
分子疫学的変遷
百日咳菌の分子疫学では, 従来用いられてきた反復配列多型解析(multilocus variable-number tandem-repeat analysis: MLVA)に加え, 近年はwhole-genome sequencing(WGS)が広く用いられるようになった。MLVAは長年, 世界的流行株であるMLVAタイプ(MT)27の拡大状況を把握するうえで重要な役割を果たしてきた。しかし, MT27が多くの国や地域で流行株集団の大半を占める状況が常態化するにつれ, 伝播経路の推定や株間の微細な関連性を解明するには分解能が不十分であると指摘されるようになった。これに対して, WGSに基づく一塩基多型解析は, きわめて高い分解能を有しており, 百日咳菌集団の系統構造を精緻に解析するとともに, 国境を越えた伝播ネットワークの解明をより高精度に可能とする手法として, 現在では分子疫学研究の中核を担うに至っている。
百日咳菌はワクチンや抗菌薬による選択圧のもとで進化を続けており, この数十年で世界的な流行株の構造が大きく変化している。現在使用されている無細胞百日せきワクチンはPT, FHA, Prn, Fim2/3などを抗原として含むが, 1990~2000年代を境にこれら抗原遺伝子に変異を持つ株が世界的に増加した3)。そのなかでも, PTプロモーター変異株(ptxP3)の拡大は顕著であり, 従来主流であったptxP1系統からの置換が多くの国や地域で確認されている。加えて, 薬剤耐性株の出現は, 近年の百日咳菌進化を考えるうえで重要な現象である。マクロライド耐性株は, 1990年代にまず米国で散発的に数例が報告されたものの, その後長期間にわたり世界的に稀な存在であった。ところが, 2010年代に中国で突如として高頻度で検出されるようになり, 一部地域では耐性率が70-90%に達するなど, 短期間で急速に拡大した。MLVAを用いた研究によると, 中国で初期に検出された耐性株はMT55・MT104・MT195など複数の系統(いずれもptxP1)で生じていたが, 近年分離される耐性株の大多数はptxP3を持つMT28に属している。WGS解析でも, MT28のマクロライド耐性株が互いに遺伝的に近縁であることが確認されており, 耐性獲得を契機として特定の系統が選択的に拡大した可能性が示唆されている4)。さらに, 中国で出現したMT28-ptxP3耐性株が日本・フランス・米国でも検出されており, 耐性株の国際的な拡散を裏付ける所見と考えられる。
まとめ
百日咳菌はヒトのみを自然宿主とする宿主特異性の高い細菌であり, 限られた生態ニッチに適応した性質と, 多彩な毒素による病原性をあわせ持つ。その一方で, ワクチンや抗菌薬といった人為的な選択圧のもとで進化を続け, ptxP3系統の台頭やマクロライド耐性株の国際的拡散など, 集団構造は大きく変容している。WGSを用いた分子疫学的監視により, これらの動態は以前より明確に把握できるようになった。しかし, 本菌の進化は現在も進行中であり, 流行予測やワクチン戦略, 治療方針には最新の知見に基づく継続的な検討が求められる。
参考文献
- Parkhill J, et al., Nat Genet 35: 32-40, 2003
- Melvin JA, et al., Nat Rev Microbiol 12: 274-288, 2014
- Bart MJ, et al., mBio 5: e01074, 2014
- Xu Z, et al., J Clin Microbiol 63: e0106425, 2025
doi:10.1128/jcm.01064-25
国立健康危機管理研究機構国立感染症研究所
細菌第二部
小出健太郎 大塚菜緒 後藤雅貴
