国立感染症研究所におけるリスクコミュニケーションの取り組みについて

国立感染症研究所におけるリスクコミュニケーションの取り組みについて
(IASR Vol. 47 p105-106: 2026年6月号)
背景
感染症の流行時には, 科学的知見が日々更新されるとともに, 市民や関係機関が必要とする情報も変化する。そのため, 感染症に関する情報は, 科学的妥当性を保ちながら, 受け手の状況に応じて分かりやすく提供することが求められる。平時から情報発信の体制を整え, 関係機関や影響を受ける集団との連携を維持しておくことは, 危機時の迅速な対応にもつながる。
国立健康危機管理研究機構(JIHS)国立感染症研究所(感染研)は, 調査・研究により得られた科学的知見の整理・分析および行政・医療機関等への技術的支援を担い, その成果を社会に還元する役割を有する。この役割のもと, 科学的知見を社会の行動につなげる過程として, リスクコミュニケーションが重要となる。感染研・感染症危機管理研究センター(Center for Emergency Preparedness and Response: CEPR)では, 情報提供, 社会動向の把握, 関係機関との連携を組み合わせた取り組みを平時から実施してきた。本稿では, これらの具体的な内容について紹介する。
科学的知見の発信
感染研のwebサイトは, 感染症危機管理や感染症発生動向, 病原体情報, 学術的知見等を広く発信する基盤として運用され, 感染症対策に資する重要な情報源となっている。一方, 従来は感染症情報と組織情報が同一サイトに掲載されており, 必要な情報に到達しにくいという課題があった。このため, JIHS設立後の2025年度に所内各部・センターと連携し, 感染症情報に特化した「感染症情報提供サイト」を構築した。あわせて115の感染症の解説を見直し, 感染経路や予防方法等を把握しやすい形式に再構成した。さらに, 検索性やアクセシビリティに配慮した機能の追加・調整も行った。これらにより, 信頼性の高い情報を迅速かつわかりやすく提供する基盤を整備した。
アクセシビリティの向上や, 受け手の視点や状況を踏まえた文言・表現等の調整については, リスク評価文書やEBS週報などの公表資料に対しても, 多部門と連携しながら実施・支援を行っている。こうした取り組みを通じて, 専門的知見を社会に伝達するための情報発信機能の強化を図っている。
社会動向の把握とコミュニティとの連携
感染症情報の受け止め方は受け手の状況により異なるため, 社会における関心や不安, 誤解の傾向を把握することが重要である。このため, AIを活用したソーシャルリスニング(SNS投稿等の分析)やメディア動向のモニタリングを継続的に実施している。SNS上の投稿やwebニュース等をもとに, 話題の広がり, 注目されている論点, 情報の拡散状況を整理し, 情報提供の内容やタイミングの検討に活用している。
一方で, 影響を受ける集団のニーズはSNS分析だけでは十分に把握できない場合がある。このため, 当事者や支援団体等からなるコミュニティとの連携も重視している。このようなコミュニティと連携したリスクコミュニケーションの一環として, エムポックス対応を契機として2022年度より感染症コミュニケーション円卓会議を主催し, men who have sex with men(MSM)コミュニティのcommunity-based organization(CBO), 行政, 研究・医療機関が参加して課題や誤解の状況を共有している1)。計画段階から協働して情報発信内容を検討し, 対象に応じた媒体設計や相互監修を行うとともに, 受診につながる情報整理にも取り組んでいる。これにより, 科学的妥当性と伝わりやすさの両立や, スティグマの低減につなげている。この会議はエムポックス流行収束後も継続し, 平時の関係維持と将来の危機への備えとして機能している。
メディア対応
科学的知見の社会における受け止められ方や影響の広がりは, 報道のあり方にも左右される。このため, 報道機関との関係構築に加え, 相互の認識や前提の共有が重要となる。こうした観点から, メディア関係者向け意見交換会を月1回開催し, 感染症に関する専門的知見を共有しつつ, 専門家とメディアの解釈のずれ等を把握する機会としている。得られた気づきは, 専門家による説明方法の改善や情報提供のあり方の検討につなげている。
人材育成と基盤整備
継続したリスクコミュニケーション活動を行うには, 各自の実務能力向上と連携体制の確保が不可欠であり, 研修と手引きの整備を進めている。所内では著作権セミナーや海外専門家によるワークショップを通じて, 専門家の実務能力向上を図っている。
自治体職員向けには, CEPR主催で年3回実施している感染症危機管理研修会の1回を, リスクコミュニケーションをテーマとして実施している。加えて, 保健行政, 実地疫学, 国際保健等にかかわる実務者向けの研修の中でも, コミュニケーションに関する講義・演習を行っている。さらに, 研究者と実務者をつなぐ会を通じて, 保健所職員や関係分野の研究者等との情報共有・意見交換を行い, 実務と研究の連携体制の構築を進めている。
また, 現場対応力の向上を目的に, 実務者が活用可能な手引きを作成した。一つは, 健康危機時に脆弱な高リスク集団を含む多様なコミュニティに対し, 双方向のコミュニケーションを行うための手引きである2)。もう一つは, 感染症流行時の誤情報や不確かな情報を把握・分析し, 対応するための実務手順を示したマニュアルである3)。いずれも研究班のwebサイトで公開・配布している。
まとめ
CEPRでは, 科学的情報を社会と共有し, 受け手の反応や課題を把握して取り組みに反映する実践を通じて, 社会動向の把握, 情報発信の改善, 関係機関・当事者との連携を進め, 感染症リスクコミュニケーションの基盤整備に取り組んでいる。今後も, JIHS感染症リスクコミュニケーション指針に示された「科学的妥当性と合理性」, 「情報の透明性」, 「平時と緊急時の一貫性」, 「信頼」, 「人権への配慮」の原則4)に基づき, 平時からの体制整備と関係構築を継続していく。
参考文献
- 山本朋範, IASR 44: 94-95, 2023
- 日本公衆衛生協会, 健康危機対応のためのリスクコミュニケーションとコミュニティエンゲージメントの手引き, 2024
https://www.jpha.or.jp/sub/topics/2024/20240826_1.pdf - リスクコミュニケーション&コミュニティエンゲージメント, インフォデミック・インサイト・レポート作成マニュアル~報告書作成までの6つのステップ~, 2024
https://plaza.umin.ac.jp/~rcce/images/infodemic_v1.pdf - 国立健康危機管理研究機構, 国立健康危機管理研究機構感染症リスクコミュニケーション指針, 2026
国立健康危機管理研究機構国立感染症研究所
感染症危機管理研究センター危機管理総括部
第二室(コミュニケーション科学室)
吉松芙美 山本朋範 加藤美生 小林 望 廣瀬晶久 関 なおみ 齋藤智也
