ハマダラカの殺虫剤抵抗性

ハマダラカの殺虫剤抵抗性
(IASR Vol. 47 p147-148: 2026年8月号)
はじめに
マラリアの対策においては, 屋内残留性殺虫剤散布(indoor residual spraying: IRS)および長期残効性殺虫剤処理蚊帳(long lasting insecticide nets: LLINs)といった有機合成殺虫剤(以下, 殺虫剤)を利用した媒介蚊の防除法が中心的役割を果たしてきた。しかしながら, マラリアの媒介蚊であるハマダラカ(Anopheles属)の仲間は既存の殺虫剤に対する抵抗性をこれまでに発達させてきており, この問題は公衆衛生上の大きな脅威となっている。
殺虫剤抵抗性のモニタリングの現状
ハマダラカをはじめとする疾病媒介蚊の殺虫剤感受性をモニタリングする基盤として, 世界保健機関(WHO)標準生物試験のプロトコルが整備され, 各国の研究・試験機関等で実施されている1)。2016年の改定からは, 単一の判別濃度(discriminating concentration)に加えて, その5倍から10倍の濃度を段階的に用いる強度試験(intensity bioassay)も導入され, 殺虫剤抵抗性をより定量的に評価することが可能となった。その他, 既知の殺虫剤抵抗性遺伝子マーカーを用いたモニタリングも一部行われており, これらは単独では蚊の殺虫剤感受性を完全に評価できるものではないが, 追加的なエビデンスとして有用である。
殺虫剤抵抗性の現状
かつて多量に用いられていたDDTをはじめとする有機塩素系の殺虫剤に対しては, すでに多くのハマダラカで抵抗性が発達しているが, これらの殺虫剤に関しては環境負荷や安全性の観点から現在ではほとんどの国で使用されていない。現在, マラリア対策の主軸となっているのはピレスロイド系殺虫剤である。近年まで蚊帳に使用される唯一の殺虫剤のクラスでもあったが, 残念ながらこのピレスロイド系殺虫剤に関しても多くの主要なマラリア媒介種で抵抗性がすでに深刻な問題となっている2)。マラリアの患者数・疾患負荷が最も深刻なサハラ以南アフリカの地域では, An. gambiae s.l.およびAn. funestusを中心に高度な抵抗性が各地で確認されており, 作用点タンパクの変異(電位依存性ナトリウムイオンチャネル-L1014F/S, V410L等)や代謝酵素(CYP6P亜族シトクロムP450等)の活性亢進がその主要な機構として同定されている。一方でアジア地域では, An. culicifacies s.l., An. stephensi, An. hyrcanus s.l., オセアニア地域ではAn. punctulatus s.l., ラテンアメリカ地域ではAn. albimanusといった種類を中心に, ピレスロイド系および有機リン系・カーバメイト系殺虫剤に対する抵抗性が確認されている。特に, An. stephensiは元来の生息域であった南アジア・中東から, 近年急速にスリランカやアフリカ諸国へとその分布域を広げてきており, その動向と疫学的な影響が注視されているが, これらの新しい定着地域における集団に関しては, すでにピレスロイド系および有機リン系・カーバメイト系の殺虫剤への抵抗性を有しているとみられる3,4)。
対策と課題
殺虫剤抵抗性の発達を防ぐ観点からは, 作用機序の異なる殺虫剤のローテーション・モザイク・混合使用を基軸とする抵抗性管理(insecticide resistance management: IRM)や, 殺虫剤への過度な依存からの脱却を志向する総合的ベクター管理(integrated vector management: IVM)の実践が推奨されている。いずれにしても, マラリアを含めた持続的な公衆衛生対策のためには, 防除に利用可能な殺虫剤の選択肢を今後もより充実させてゆく必要がある。近年, ビル&メリンダ・ゲイツ財団などの援助により発足した非営利団体Innovative Vector Control Consortium(IVCC)による支援もあり, ネオニコチノイド系のクロチアニジン, ピロール系のクロルフェナピル, メタジアミド系のブロフラニリド, また殺虫剤の効果を高める共力剤のピペロニルブトキシド(PBO)を含むIRS用製剤とLLINsが新たにWHOによる事前認証(prequalification)を得ている。特にLLINsに関してはピレスロイド抵抗性の深刻な状況を受け, 現在, 従来のピレスロイド単剤の製品から異なる作用機序をもつ他剤を複合した製品にそのシェアが移行しつつある5)。これらの防疫用として新たに使われ始めた殺虫成分については, いずれも現時点では抵抗性の存在を証明する明確なエビデンスは得られていないが, アフリカのAn. gambiae s.l.においてネオニコチノイド系殺虫剤への感受性の低下を近年示唆する報告6,7)があり, 今後も継続的なモニタリングが求められる。
参考文献
- WHO, Manual for Monitoring Insecticide Resistance in Mosquito Vectors and Selecting Appropriate Interventions, 2022
https://who.int/publications/i/item/9789240051089 - IR Mapper
https://irmapper.com/anopheles - Yared S, et al., Malar J 19: 180, 2020
- Balkew M, et al., Malar J 20: 263, 2021
- WHO, World malaria report 2025
https://www.who.int/publications/i/item/9789240117822 - Fouet C, et al., BMC Infect Dis 24: 133, 2024
- Fouet C, et al., Pest Biochem Physiol 206: 106205, 2004
国立健康危機管理研究機構国立感染症研究所
薬剤耐性研究センター・昆虫医科学部
糸川健太郎
