感染症の危機管理

感染症の危機管理
(IASR Vol. 47 p101-102: 2026年6月号)危機管理活動を構成する要素
「危機管理」というと, 危機発生時の対応が注目されがちであるが, 実際のところ, その業務の大半は発生前のプリペアドネス(事前準備)にある(図1)。
危機管理に関する活動は一般的に, 危機に関する情報を収集・分析するインテリジェンス活動, 対策を実践するための人的物的資源の確保と配置調整を行うロジスティクス, 危機発生を防ぐための法体系・ガバナンスといったシステムの防御力を高めるためのセキュリティ対応, そして関係機関や一般住民, 利害関係者(ステークホルダー)と議論し, 合意形成して, 政策化していく過程であるリスクコミュニケーション, に大別される(図2)。
特に感染症による健康危機は, 地震や風水害といった自然災害とは異なり, 探知当初には被害の及んでいる地域や対象者が明らかでない, といった特徴がある。病態や感染経路が特定されるまでに要する時間と並行して感染が拡大し, 被害も拡大してしまう可能性もあることから, 速やかに国内外の知見の収集や積極的疫学調査を行い, 関係者間で最新の情報を集約, 共有する必要がある。そのため, プリペアドネスとしてこれらの基礎となるインテリジェンス活動や疫学情報分析, 臨床研究活動が重要である。
また感染症の流行による被害抑制のためには, 公衆衛生的介入(public health intervention: PHI)と緊急時医薬品等(medical countermeasures: MCM)による医学的介入が両輪となる。
パンデミック発生時にこれらをできる限り迅速に実施するため, PHIにおいては専門的知見に基づくリスクコミュニケーション, MCMによる医学的介入においては検体採取, 病原体の分離・同定から臨床治験に至るまでの検査診断体制の確保, 医薬品・ワクチン開発体制の整備, が必要である。
本特集では, このような, 感染症の危機管理におけるプリペアドネス活動の現状に焦点を当てる。
JIHSの設立と危機管理体制の強化
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の経験を踏まえ, わが国の新たな危機管理組織として, 内閣府には内閣感染症危機管理統括庁が創設され, 厚生労働省においては感染症対策部が設置された。加えて, 健康危機管理体制と研究開発機能を抜本的に強化するため, 2025年4月に国立感染症研究所(感染研)と国立国際医療研究センターが統合し, 「国立健康危機管理研究機構(Japan Institute for Health Security: JIHS)」が設立された。
JIHSには「統括部門」が設けられており, 機構内の各「事業部門」を組織横断的に連携する仕組みとなっている。統括部門に置かれた局の1つである「危機管理・運営局」は, 健康危機管理に関する総合調整を行うこととされている。
JIHSとしてのプリペアドネス活動の一環として実施している, JIHS業務継続計画(business continuity plan: BCP)の統括部門における「総論」の策定, 各事業部門における「各論(自然災害編, 新型インフルエンザ等編)」の策定, パンデミック発生後約1カ月の初動対応に必要な人員の事前確保を示す「サージキャパシティ名簿」の作成といった取り組み状況について報告する(本号3ページ)。
JIHS設立以前の感染研における危機管理体制強化については, 2020年4月に「感染症疫学センター」から危機管理機能を分離・独立する形で「感染症危機管理研究センター(Center for Emergency Preparedness and Response: CEPR)」が設置された。以降, 2025年3月までの間に, 感染症に関する突発的事案や高いリスクが見込まれる事案に対し, 感染研内の「緊急時対応センター(Emergency Operation Center: EOC)」を8回運用(アクティベーション)するなど, 全所的な対応を調整してきた。
JIHS設立後, 事業部門の1つと位置付けられた感染研において, CEPRは2部4室体制としてインテリジェンス活動やコミュニケーション・コミュニティエンゲージメント活動, 訓練・演習の支援, 人材育成といった業務に当たっている。このようなプリペアドネスのうち, 日々のインテリジェンス活動の一環として実施している「JIHS感染症イベントベースドサーベイランス(EBS)週報」の作成と, 「厚生労働省感染症対策情報共有会議」について報告する(本号4ページ)。
2024年に改定された「新型インフルエンザ等政府行動計画(政府行動計画)」とその対策項目(ガイドライン)のうち, 「情報提供・共有, リスクコミュニケーション」については, 偏見・差別等の防止や偽・誤情報対策も含めたリスクコミュニケーションの在り方等が整理され, 一方的な情報発信ではなく, 当事者との双方向性のコミュニケーションが重要である旨が加筆された。これに関連したコミュニケーション活動(本号5ページ)や, 新たに策定した「JIHS感染症リスクコミュニケーション指針」について報告する(本号6ページ)。
病原体検査や地衛研におけるプリペアドネス
新型インフルエンザ等感染症に相当する感染症の検査診断について, 改定前の政府行動計画においては, 感染研で構築された検査系が地方衛生研究所(地衛研)に技術移転され, そこで行政検査が実施されることとなっていた。COVID-19パンデミック時には, 日に100人を超える陽性者が発生する状況となり, 地衛研のみで行政検査を維持することができず, 民間検査機関への委託も行われるようになった。次のパンデミックにおいてもこのような状況が発生し得ることを想定し, 感染研では「病原体検査体制構築初動訓練事業」として, 新規感染症を想定した検査系を自治体に技術移転し, 地衛研における初期検査体制の立ち上げおよび自治体と協定を結んでいる民間検査機関等において発生初期から検査ができる体制を確保するための訓練を実施している(本号8ページ)。
自治体における検査初動体制の最前線を担う地衛研は, 2022年の地域保健法の改正により「地域保健対策の推進に関する基本指針」において健康危機管理体制の中核機関の1つとして位置付けられた。これにより, 各都道府県等は, 地域における専門的な研究・検査等のために必要となる人材の確保・養成, 専門的な研究・検査等のための施設・設備の体制整備等を行わなければならないこと, とされた。このような, COVID-19発生以降の地衛研の動向と危機管理体制強化, 感染研や関連機関とのネットワーク構築について報告する(本号9ページ)。
MCMの研究開発環境整備
パンデミック発生時のMCMによる医学的介入を早期に実現するためには, 実際の患者情報に基づく臨床研究の推進が重要である。この基盤整備のため, JIHSにおいては, パンデミックの初期段階に患者が入院する可能性の高い感染症指定医療機関を中心としたネットワークを構築し, 平時から研究に協力できる体制を整え, 感染症危機発生時, 迅速に治療薬等の臨床試験を実施できる体制を作ることを目指した「感染症臨床研究ネットワーク(Infectious disease Clinical Research netwOrk With National repository: iCROWN)事業」を行っており, この取り組みについて報告する(本号10ページ)。
計画された大規模イベントに対するプリペアドネス
特定の場所に特定の目的を持ってある一定期間, 人々が集積するという特徴を持つマス・ギャザリングは, 当該地域への感染症持ち込みや, 集団感染の発生, イベント終了後の地理的な拡散といったリスクがあり, 開催前からのプリペアドネス活動が重要である。
このため, 感染症の危機管理に関するプリペアドネス活動の具体的な事例として, 「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会」以降の国際的マス・ギャザリングイベントとして注目された「2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)」における, 大阪府, 大阪市, 感染研と大阪健康安全基盤研究所が中心となって構成された「大阪・関西万博感染症情報解析センター」の活動について報告する(本号12ページ)。
おわりに
今回の特集全体を通じ, プリペアドネス活動の重要性を強調しているのは, 現実世界においては感染症危機管理のサイクルのうち事前準備の期間が最も長いからである(図1)。待つ身はつらいが次の感染症パンデミックがいつ来るかは誰にも分からない。一方で, 準備や訓練を重ねておいたこと以外, 発災直後から速やかに行うのは難しい, という現実も踏まえ, 地衛研や保健所等においても, 計画やBCPの立案と訓練・演習, 人材育成と物資の備蓄等による確保といった備えを怠らないことが重要であると考える。
JIHS感染研としては, 引き続き, 専門人材の育成や, 国内外の関係機関とのネットワーク構築にも尽力し, 感染症危機に対するより包括的な対応システムを構築していくとともに, オールハザードも見据え, 各分野のプリペアドネス活動を発展させていくこととしている。
